58歳で介護職に転職!
58歳で新人。
全くの異業種企業から介護職に転職して1か月。
なぜ転職したのか、最近よく聞かれる。
数カ月前までは、この年で転職なんて全く考えていなかった。
定年65歳までは長年続けてきた仕事を頑張るつもりだった。が、営業職のため現場が数カ月ぐらいで移動する。通勤に遠いのは当たり前だったが、片道2時間越え、坂道ありで、両親の介護をしながらの寝不足と、通勤に疲れ果てて階段から落下してしまい限界を感じた。そして有休がたまっていたので有休と介護休業を利用して休んだ。
休んでいる間に介護の知識がないので、そうだ!初任者研修を受講しておこうと思った。
初任者研修ではすでに介護職の方や役者の方など、普段かかわらない方との交流や実技が楽しかった。特にボディメカニクスを活用した移乗は目からうろこだった。
介護休業もあっという間に終了し、職場復帰。
なんとそのタイミングで異動になった!長年勤務していたので会社ができる待遇を用意して下さった。
営業職から本社勤務。不動産の引き渡し担当の事務職・・・
両親は看多機に入所。朝7時に二人を看多機に送っていき、17時で仕事終了でまた二人を迎えに行くという体制をとった。
全く経験のない事務職。朝から何度もリモート会議、パソコン・・・とにかく時間が足りない・・・昼ご飯も食べる時間がない・・・1日に何度もリモート会議ばかり・・・
これは違う・・・65歳まで頑張れないと予感。
しかも営業職と違って歩合給というものがないので、収入はかなり減ってしまう。
だったら、興味がある職業に就いてみたいと思った。
あっけなく転職。
特養を選んだ。理由は、これから先に親の全介助など出てくることになるので、まともな知識と楽な介助技術を身に付けたいと思ったから。
現実は・・・
特養の真夏の夜のホラー!
特養に転職して早3週間。
とある遅番の夜のできごと。
OJTで先輩とご利用者様のおむつ交換をしていた時、なんだか叫び声が聞こえた。
あっ、なんか叫び声がしたのでと先輩に言うと、ちょうどテレビで介護の番組をやっていて、気のせいだよと言われ、そっかと見に行くのをやめておむつ交換を教えていただいていた。
そうしたら、あるご利用者様(自立の方)が慌てふためいて助けを求めてきた。
テレビを見ていたら知らないおばあさんが足元にいるのー!!
え???怖がる利用者様と手をつないでお部屋に行くと、他の利用者様がちゃっかりその方のベットに布団をかぶって寝ていた!!
なんで?いつの間に?へ???歩けないのに!
その部屋のご利用者様は、泣きそうになりながら私のベットに寝ている!!もう無理
ここでは寝られないと・・・
すぐにほかのお部屋を準備しますと言って、ひとまずフロアーにお連れして荷物を移動し始めようと思って先輩とお部屋に行くと、侵入して寝ていた利用者様がベットから落ちたのか床にうずくまっていった。さっきまで人の部屋のベットで寝ていたのに!この方はとても速い四つん這いで進まれる方で、不謹慎なんだけどまるで貞子のよう。侵入された利用様は本当に怖かっただろうなと思う。あの叫び声は気のせいではなかった。
額にでかいたんこぶ!先輩は、あー事故報告だ~やだーと・・・
すぐにクーリング・バイタルはかり、ボディチェック・・・連絡・・・
その間に私は部屋の移動をして・・・とそしたら別の部屋のご利用者様がお部屋の車いすに放尿・便失禁!!え~~なんでこのタイミングに?靴もうんちまみれだ!軟便だ!
先輩はたんこぶの利用者様に付きっきりだから、放尿便失禁に大丈夫ですよ、となぐさめながらさっさと着替えと清掃を済ます。
先輩がずっと怒鳴り散らしていて一番うるさかった。
OJTで一人でなくて良かったなんて思いながら、なんだかカオスな状況がおかしくって笑いをこらえるのがせいいいっぱいだった。
あっという間の遅番が終了したが、忘れられない体験だった。
事故記録も初めて作成した。
放尿便失禁の方は、翌日から2階の特養のユニットに入居された。かまってちゃんで何かと手をかけていたのでちょっと寂しい。
これからもっと予想しないことが起こるのかな?
両親の介護は、まだまだ楽なことに感謝。
介護職に転職してから心に余裕ができたように思う。
転職1か月・とある特養の実態
8月から特養に入職した。
まさかこの年で介護職に転職するとは!!
いい話は聞かないのでかなり覚悟をもって転職したが、あれ?なんだか楽しくって~
もしかして天職?なんて勝手に思ってしまう。
特養なんだけど、配属はショートステイになった。
なぜか、ショートなのに上の階の特養入居待ちでロングの方が数名。
利用される方は大体同じ方が入ったりお帰りになったりの繰り返し。
毎日笑顔で仕事している。
どちらかというと、家でやっている日々の延長みたいな感じで仕事とは感じない。
今までフルで仕事をしながら介護認定4と2をみてきたから、良い経験になっていると思う。
親の介護はブチ切れそうになったりするのだが、なぜか仕事となると全然全く頭に来ない。親からも対価をもらえばよい介護ができそうだ!
ご利用者様との会話も楽しくて、仕事大変だけど頑張るのよ。と認知症の方に励ましていただいたり、部屋で放尿してしまったりいろんな事件が起こるが、やりがいを感じる。
たまたま良い現場に巡り合えただけかもしれないけど、感謝。感謝。
なんて思っていたが!自分ができるようになってくると、色々見えてくる。
どこの職場にもいると聞いていたお局様!想像以上だ。
猫をかぶっていたのか、だんだん正体を現してきた。
ご利用者様にたいして、当たり前のように日々行われる虐待。
尊厳なんてありゃしない。牢獄か!!と思ってしまう。入ったことないけど。
トイレに連れっててください~寒いです~できるだけ対応しようとすると、お局様が・・・他人の親に信じられない言葉で怒鳴ってスピーチロック。
たまに利用者様が反撃にでるも、さらに何倍にもなって帰ってくる。
平社員なのに何故えらい??利用者様に完全に上から目線で命令口調。言葉の暴力。
昔の移乗のやり方で技術なんて備えていない。利用者様が痛い痛いと言っているのに我慢して!と無理やり力ずくで移乗。怖すぎる・・・
話には聞いていたが、想像通りで・・・心が痛い。
先日、ショートから2階の特養へ入居された方がいた。
かまってちゃんで寂しがりやでとても手がかかる方だったが、穏やかで入職したての私には心のよりどころで安心感があった。
2階に入居されてからは失禁が多くなり、冷房22度の中、布団もかけず薄着で21時まで寝かせない。寒い寒いと訴えていたそうで、ナースが発見してスタッフを怒ったそうだ。いくら何でもそんなことするなんて・・・好きで失禁してるわけじゃないのにどうゆう事??自分がされたらどうなんだ!と怒りが湧いてくる。
これがネットで大人気のとある特養の実態だ。
自分が1か月経験して思ったことは、両親を施設に入れるのは絶対にやめようと思った。できるだけ家で見れるうちは家で介護しようと強く心に誓った。
そのためにも知識と技術は必要。反面教師として自分はそんな介護をしたくないと思った。
ユニットに一人お局様が一人いるだけで、そこは地獄になる!
もちろんまともな職員だっていると思うが、慣れてしまうと当たり前になってしまうのか??・・・そもそも人としてどうなのか?と疑問が湧いてくる。
人それぞれ介護度も違い、それぞれの対応も違う。どんな利用者の方でも対応できるように自ら学んでいこうと思う。いくつになっても日々勉強。
丸の内のOL辞め!
正確に言うと7月末までで退職。
今月末まで出勤して、あとは4月に付与された有休消化。
勤務先にやめると伝えたら引き止められた!
勤続が長かったせいか、今の部署が嫌なら好きな部署に異動できるようにするから何もやめなくたって…一時の気の迷いじゃない?って・・・
まさかそんなこと言っていただけるとは思っていなかったので逆に驚いた。
離職率が非常に高い会社で、去る者は追わずだと思っていたから。
我ながら思い切ったことをしたと思うが、全く後悔はない。決断力はあるほうで、さっさと次へ向かって進むのが自分らしいかな。
転職サイトに試しに1件登録してみた。すぐに電話があり話すこと1時間。
なぜか会社名言っていないのに担当者にわかってしまい、絶対にもったいないから今の会社辞めないほうが良いからって。紹介する人がそれじゃダメでしょう??
(給与が高いという事は、それだけ大変ってこと。今は昼食もおにぎり1個を2分ぐらいで会議の合間に食べてる)
結局紹介はしていただかないで終了。
そしてまさかの、介護職への挑戦!?
介護の世界は3K?給与も安く人間関係も悪いと聞くので転職候補には無かったが、初任者研修での実技が楽しくって自分のためにも親の介護の為にも役立つし、やっぱり興味は捨てきれず。
やってみて生活できなければ仕方がないから不動産の仕事探せばよいかなって。
この年齢でないでしょ!って言われるけど一応キープ済み。給与は良いし、何なら今までより稼げるかもしれない。でも、私がやりたいのは介護職。この年齢だからこそ、体力だけ気を付ければやれる気しかないとちょっと強気。
周りが全力でもったいないもったいないと反対する中、子供たちだけは理解を示してくれて、何とでもなるよって。この年齢まで頑張ってきたんだから、好きなことやったほうがいいよって後押ししてくれて涙が出た。
そして面接を受けて連絡待ち。
全くの未経験でもうすぐ58歳。こんなんで受かるかどうかわからないが・・・
面接を受けた希望の施設は1つだけ。
働く場所は腐るほどあるというけど、就職したい施設は探して探して一つだけ。
ダメだったら不動産の仕事やるしかないと思っている。
介護休業終了
介護休業が終了する。
とうとう仕事復帰
だけど、とてもとても気が重い・・・
本社勤務と言い渡されたのが復帰3日前。もっと早く言ってよ!
不動産営業部から業務部へ異動。収入でいうと月の手取り額が8万ぐらい減る。
事務職なんてやったことないから収入が減るのは仕方ないが。
初任者研修が終了したので、同じグループ会社のサ高住の介護職に希望をだしていたが・・・手取りで月15万ぐらいになってしまうので、それでは生活できないとできるだけ考慮してくれた結果らしい。
5月から看多機もやめる。払えないから。
じゃ、どうするボケ二人。考えても考えても解決策が見つからない。
ケアマネさんはよく相談に乗ってくれて…って聞くけど、そんなケアマネさんに会ったことない!
介護にはお金がかかる。仕事も続けないと生きていけない。
57歳シングル体力も気力もお金も頭脳も何もない。
流動性知能は30歳から40歳頃ピークを迎え、それ以降は低下する。
新しいことを学習したり、新しい環境に適応する能力なんて私にはもはや残されていない・・・
いつまで親の面倒見ないといけないのか!苛立ってしまう。
死も忘れてしまった両親、今日も朝からホントによく食べる。
心の支えはララとレイ
看多機2日目
看多機2日目。
迎えにきて下さったのは、初日のスタッフ・・・
なんと、玄関先で立ったままバイタルチェック!!えっ、立ったままですか??
今日は朝から父が行きたくない様子で、朝食を済ませると布団に入ったまま出てこない。迎えに来ても出てこない!
やっぱり嫌なんだな~。私も間違った感がある。年寄りの環境の変化は極力避けないといけなかった。訪問看護の看護師さんに強く勧められてなんとなく契約してしまったので反省。
帰りたくなったらスタッフさんに言えば帰れるからって言ってようやく出発した。
帰宅したとたん布団の中に・・・辛いのかな・・・そりゃ疲れるよね。
お風呂入れてもらった?ごはんおいしかった?何やった?
何聞いても何も覚えていない!!二人とも!
具合が悪くなってしまったようで夕食もあまり食べずに寝てしまった。
今日は、両親の洗濯物が山ほど。5回洗濯機まわした。
3回目の洗濯が終わってシーツを干した途端、横殴りの雨風!
雨が降ったりやんだり・・・小降りになったので隙を狙ってスーパーへ買い物に出かけようと家を出た瞬間、雨がポタ、ポタ、ポタ、ザーっときた!なんで!!
雨やんだからこの隙に愛犬の散歩。玄関出たとたんにザー!!
娘が駅まで車で送ってって~、小雨で傘がいらないぐらいだったのに、家出たとたん
にザー!!びっしょり。
一日中、なんというタイミング。
雨女決定!
最悪な初日。看多機通所開始!
看多機へ通所開始!
5月1日から看護小規模多機能型居宅介護を契約した。
慣れるまでは時間短め10時半から15時半。最終の目標は9時から19時の週5日。
初日
二人のスタッフがお迎えに来て下さったが・・・・・
一人は若めのニコニコした感じの女性。もう一人は、つんけんつんけん朝から何機嫌が悪いのか、人数が2人増えてむかついているのか、タメグチ以下で社会人として言葉遣い大丈夫??
ほんの2・3分の対応みてがっかりしてしまった。はあ~
スタッフの対応ってこんなにも人によって違うのかと・・・
知らない人が迎えに来てどこへ連れていかれるのやら不安でいっぱいなのに・・・
違和感があったので、どんな感じで連れていくのかマンションの上から見ていたら、なんとそのスタッフは振り返りもせず気にもせず寄り添いもせず!早歩きで両親の2ⅿぐらい先をすたすたと歩いていった。歩くのが遅い両親が必死に後をついて行くのが見えた。なんだかなー!!
以前のデイサービスのスタッフさんとはまるで違ったので驚いた。
帰宅するなり母がおなかすいた~
連絡ノート見ると、昼食が口に合わないようで2割しか食べていない。
もはや食べる事しか楽しみがない母にとっては、食は大問題。
以前通所していたデイサービスは、実際に試食して食事がおいしいことが決め手だった。今思えば、やさしさにあふれたスタッフさんばかりだったな。
通所が慣れて時間が長くなると、昼食と夕食が心配だ。お弁当や持ち込みを相談してみたが、もちろん駄目だった。
父は、とにかく帰りたがっている様子だったらしい。起きていること自体辛いのだと思う・・・90歳、今更健康だ、規則正しい生活だ、自立支援だーなんてどうでも良いかな、食べられるうちに食べたいモノ食べて、寝たいだけ寝て、気疲れしなくて、本人が望むならそれで良いような気がしてきた。介護の基本とは違うけど・・・
1か月やってみて辛いようだったら、デイサービスとヘルパーさんで何とかするしかないと思っている。
気を取り直して、留守の間に両親の部屋そうじ。
出てくるは出てくるは、とんでもない汚物が隠されていたり、ゴミや小銭があちこちに大量にあったり、とにかく汚くて大掃除並みの大変さだった。
久々に帰宅した娘が、家に入って臭くなかったと言っていたのでやりがいがあった。